
3回目の転職は2019年1月でした。
(2018年12月末で退職)
2回目の転職から約10年たっていました。
1つの会社で10年も続けていたのかというと、実はそうではありませんでした。最初いた会社(新卒で入社した会社)のグループ会社に戻った形だったのですが、関連する会社3社を渡り歩きました。
最初の3年間はロジスティクス、次の2年間はコンシューマ・エレクトロニクス(家電など)、残りの5年をライティング(照明)事業で仕事をしました。情報システム、生産企画、物流統括、生産・物流統括と徐々にスタッフ業務をするようになった10年間です。
その間、世界中の物流拠点・生産拠点(といっても10か所くらいですが)を出張で回ったり、東日本大震災の復興支援、タイの大洪水の復興支援や、事業売却のリーダーとして売却先の中国企業と何度も中国で交渉を行ったり、生産・物流の拠点統廃合を進めたり、会社のビジネス・スクールを受講したりもしました。
多様な仕事をさせてもらい充実した内容で、振り返るといろいろなことがありましたが、あっという間の10年でした。

最初に3回目の転職理由について記しておきます。
2018年当時、所属する会社は経営状況がよくありませんでした。急に悪くなったわけではなく、元々苦しい経営状況を会社をあげて改善をしている最中でした。2017年に一時黒字化して「さぁ、これから売上や利益率を上げていくぞ!」と計画をしていたところでしたが、そんな矢先に再び苦境に陥ります。
もう二度と経験したくなかったリストラや拠点のクローズなど痛みを伴う後ろ向きの仕事をまた数年継続しなければならないと思うと、自分の年齢は2019年からの10年=50代。40を過ぎて自分でできる仕事がどんどんなくなり、定年までに実現できることは限られてくる中で、50代は前向きな仕事をする(攻める)最後のチャンスだと思っていました。
そうしないと、60代以降は自分の価値が下がってしまう・・・という危機感
もちろんそれ以外でもモチベーションが上がらない理由は多々あり、複雑で様々な理由が重なって、転職という一大決心へとつながるのです。・・・ということで、転職を活動を開始したのであります。
大阪へ
2018年が始まったくらいから転職情報を集めていたのですが、なかなか良いところは見つかりませんでした。何度か面接までいっても条件が合わず不合格が3社くらいだったでしょうか。夏になると暑くてネクタイするのも嫌なので長期戦を覚悟していた時期、・・・突然、とあるエージェントの担当の方から電話が来ました。
「来週、大阪に行ってくれませんか」
事前の情報ではピンとこなかった(最初から好印象ではなかった)ので、若干いやいやネクタイしめて大阪に行きました。面接をしたら、双方感触良く、次週再び工場を見学し、会食を経て、条件のオファー そんな感じでとんとん拍子で決まりました。
スマートファクトリー、デジタル化など期待していただいたことは、私がやりたかった前向きな仕事です。今までの知識や経験が活かされとても興味を持てる内容でした。
といっても、決めるのはとても勇気が入ります。大阪の会社で大阪勤務というのは少々抵抗があったのと、事業が少し地味で小さく感じたことなど。もう少しゆっくりと決めさせてほしかったのですが、早く決めてほしいと言われ決めてしまいました。
あとがき
思えば、自分の会社員人生はほとんどが厳しい事業で投資できるお金もあまり無い中で、改革・改善をしてばかり。苦境を乗り切ることに知恵を絞って社会人を全うするのもありなのかもしれません。・・・しかし、今はデジタル化の波が押し寄せる時代。自分もその波に乗りたい、導かれる側ではなく、引っ張る側、波を起こす側になりたいとすら思いました。はい、またしても大それたことを考えています。相変わらず夢見る少年のような志に満ちた自分にびっくりです。いい加減にしないといけない気もします。
そして、3度目の転職もまた思ったようにうまくはいかず、挫折しながら生きていくことになるとはこの時はわかっていません。なんども同じ過ちを繰り返しているようで情けないですが、ただこれだけは言えます。少しずつ成長はし続けています。・・・
ここから先は、2回目~3回目の転職に至る過程で経験した事業について触れておきます。参考まで・・・
ロジスティクス(2008年~)
2度目の転職でこの会社にお世話になりました。最初の3年間は今までで一番楽しい時期でした。まず最初に毎月アメリカに出張して現地法人の支援を行いました。営業支援と情報システムの支援を行ったのですが、この時の仕事仲間は今でも大親友で、仲間にも恵まれた時代です。
主に情報システムの改革、実務を学びながら輸出入システムの開発などを手がけました。アメリカの他、香港、中国、タイ、フィリピン、シンガポール、ポーランドの拠点にも行き各国のフォワーディング業務を中心に実務を学びシステム化を考えました。開発したフォワーディングシステムはその後、会社で唯一のロジスティクス共通システムとして運用されることになります。開発メンバーにも実務の方にも文句を言われ、頭を下げて、それでも意志を貫いてグローバル共通化を果たした経験は貴重で自信にもつながりました。
良くなかったのは、私の不徳の部分だったと思います。途中で入ってきて今まで誰もできなかった、グローバル共通の業務システムを短期間で作ってしまったら、面白くない人はたくさんいたようです。みんなで協力して作り上げたつもりでしたが、多くの人への配慮ができなかったのだと思います。
このシステムから関連するシステムを順次共通化していく構想を持っていたのですが、見事に続きませんでした。本当に残念なことですが自分の不徳が招いたことだと反省しています。
コンシューマ・エレクトロニクス(2011年~)
この時も昔お世話になった方からお誘いを受け、キリの良いタイミングで転籍となりました。私もかなり天狗になっていて、いろいろと意見をしていたので上からも面倒に思われていたのではないかと思います。あっさりと出されてしまいました。出向という形です。
この転籍(出向)にあたって、ロジスティクス会社の役員(総務担当)の方は最初反対していました。しかし出向先の体制・人員をみて素晴らしい人脈ができるということで最後は私に「行った方が良い」と快く後押しをしてくれました。
その通り、コンシューマ・エレクトロ二クス事業には後々親会社やグループ会社で経営幹部となるようなエース級の人材がたくさんいて、私が担当した生産・物流の統括管理の仕事は、自分にとっては慣れないスタッフ業務が多くて苦労したのですが、やりがいがあり、貴重な人脈が形成されました。
実はこの部署に転籍したのが、2011年3月5日(月)。慣れるどころか顔と名前も憶えていないその週の金曜日3月11日に東日本大震災に見舞われます。それから半年は復旧などの支援、そして同年10月にはタイの大洪水で関連する工場が水没してしまい、その復旧支援に忙殺されました。その後は親会社の厳しい管理のもと、設備投資・投融資の管理や棚卸削減のプロジェクトに振り回される(良い経験でしたが)2年間でした。
ライティング(照明)機器事業(2013~2018年)
LED照明が本格的に普及し始めたことは、フィルムカメラがデジタルカメラに変ったと同様、パラダイムシフトでした。ガラス加工に始まり光る仕組みを作りこむ蛍光灯や電球製造はアナログ製造です。それが光源は半導体部品として購入して組み立てるデジタルプロダクト製造に切り替えなければなりません。さらに部品はどんどん高品質で低価格なものが登場するデジタル製品ならではの事業のスピード感、在庫が生鮮食料品のように瞬く間に陳腐化する世界は伝統事業には追従することがとても困難でした。
そんな中、製造プロセス(自動化など)、生産管理、ロジスティクスとあらゆる管理ポイントでコスト削減を改善レベルから改革レベルまで行い、拡大していた中国製造も思うような効果がでないまま人件費が高騰するなど逆風。最終的には事業売却する出口戦略をとり、ようやく光が見えたところに、違う要因でまた事業は苦境に立たされます。
2018年、さらに事業縮小、リストラ・・・ということで私のモチベーションは急降下
まとめ
転職は一度したら癖になるとも言われています。確かに仕事をしていて行き詰った時、モチベーションが下がった時に、精神的に病んでしまうのであるならば、外に出る選択肢があるというのは良いことでしょう。それに自分の市場価値を定期的に意識するようになり「今いる場所でダメならやめちゃえば良い」と思う(思える)ようになります。
私の場合、仕事をする上での判断基準は、仕事で「自分が成長できるか」です。
今の仕事を続けていても全く成長しないのであれば人生の大事な時間をかける意味を感じなくなります。自分が成長できる環境を探してそこに身を置けるのは限られた時間(人生)を過ごすうえで貴重な選択となるでしょう。視野を広げたら希望の出口は見つかるのです。
一方、転職というリスクのある選択をせずとも、同じ会社で自己実現を目指すことも非常に尊いことだと思います。日本企業は終身雇用を前提として雇用形態が成り立っているところもあり、嫌なことがあっても辛い環境でも我慢して時を待ち、仕事の成果と自らの成長を叶える方もたくさんいます。生え抜きの優秀な社員は会社にとって最も大切にすべき存在なのかもしれません。
会社の中を熟知している方がいて、その中に社内では経験できない外のことを良く知っている転職者がうまく寄り添うことで、お互いの価値、ポテンシャルが経営貢献として発揮されるのが理想ではないでしょうか。
そう思います。会社のことを熟知している人が前向きでなければ難しいですが、前向きになってもらう努力も大変ですが必須ですよね。プロパーの存在は悩ましくて、プロパーが報われる改革でないと痛い目に遭いますね。経験からでした。頷きながら読みました。
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コメントありがとうございます。いつもブログ読ませていただきいつも共感しております。
そうなんですよ、プロパーの方のことを考えながらやらないと痛い目に合います。
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