昭和な上司がよく言ってました。「そんなの常識だろ、なんでわからないんだ!」
「最近の若いものは・・・」というセリフも世の常

常識の定義は次のようなものです。
「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別」
Oxford language
「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」
デジタル大辞泉
普通の・・・普通ってなんでしょう?
一方で、アインシュタインはこう言ってます。
『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう』
18歳(=だいたい大人)になるまでにその人が生きてきた中で身につけたこと。
それって、まだ世界の何もわかっていない段階。そこから社会に出たり、さらに勉強してたくさんの知識を身に着け経験を重ねます。
ただ、年をとればとるほど自分の生きてきた道に凝り固まっていきます。どれだけ知識を吸収してもわかっていないことのほうが多い。
私はいくつか事業、職場を転々としてきましたが、同じ会社の中でも仕事で使う言葉や普通だと思っていることが異なることに気が付きました。今まで仕事で使ってきた言葉や定義が常識だと思っていたら常識ではありませんでした。
海外で仕事をするとさらに自分の常識は通じません。
中国で大事な電源のコンセントが抜かれてしまいました。抜けるようになっているのが悪いと言われました。博物館で写真撮影禁止という看板があるのに写真撮影はしても大丈夫だと言われました。注意されなければよいのだそうです。日本の撮影禁止の場所でよく中国人が写真を撮っていますがあれば注意されなければ撮影して良いというのが中国人の常識なので悪いことをしている認識は日本人の感覚と全然違うんだなと思いました。(良し悪しはまだ別の話ということで触れません)
日本人同士でも育ちや会社が違うだけで、異なる常識がたくさんある。
世界レベルに見ると自分の常識などまったく通用しない。
常識というのは極めて道徳的なことに絞られるのではないかと思えてきました。
どの国に行っても通用する私の常識は、
「挨拶」と「嘘をついてはいけない」ということくらいかもしれません。